六本木ストーリー 第一話

平素は一方ならぬお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。
今月12日をもちまして、焼とりの八兵衛六本木店が、7周年を迎えることが出来ました。

これもひとえに関係各位のご支援ご厚情の賜物と深く感謝いたします。
ありがとうございます!

オープン当時を思い返しまして、自戒として物語風に文章にしたためてみました。

是非ご一読下さい。

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六本木店ストーリー

第1話

2008年当時の八島

(2008年当時の八島 東京ミッドタウンにて)

よし!東京で勝負しよう!
と、専務の掛け声から全てがはじまりました。
その当時は、
まさに機は熟した!とみんなが思っていました。

前原店→天神店→上人橋通り店→もつ鍋八兵衛
とすべてが順調であった当時。
私達に怖いものなんてなかった。
一通りの失敗も経験し、全てが完成形で、成功の定義は我が手中にありと。
八兵衛スタッフの誰もが成功を信じて疑わなかったと思います。

当初は専務が1人スタッフを連れていって20坪以下の小さなお店からスタートするはずでした。
専務はかねてより天神店スタイルのお店にこだわっていたからです。15坪でもよかったのです。
場所は、銀座のはずれや築地界隈など2.5等地をさがしていました。
専務は東京で八兵衛を拡張する。
私は福岡でバックアップする。そんな図式でした。

しかし、
2年たっても出店のメドがたたずに焦っていました。

そんな時あるビールメーカーさんの紹介で六本木の地下に物件があるから見てくれないかと。
38坪!
広すぎる!
家賃高い!
まず第一声でした。
しかし、2年あまり東京に何度も何度も行っては断られ。
何十軒と申し込んでは断られの繰り返しでもう疲れ果てていました。
精神的に限界だったのです。

ここに申し込んでダメならあきらめよう。
もう、東京なんて終わりにしよう。
いや、もう終わりにしたいという気持ちが強かったのかもしれません。

こんないい場所で審査に通るわけない。
でも、やれるならやってみたい。そんな気持ちもあったのは確かですが。

専務やスタッフにそう言って申し込んでみたのです。

数日後、まさかのOKでした。
小躍りして喜びました。
やった!勝った!
歴史なんて一晩で変わるもんだ!やれる!
そう信じていました。

六本木でやるなんて夢にも思っていませんでした。
当初のイメージは
銀座か渋谷などの街はずれ
人通りはまばら
けど、夜になるとお店は満席。
そんな感じが理想でしたし、それ以外は考えられませんでした。

いくら自信があったって…
ここは、世界的な街 ROPPONGI

そして、2008.12.12
八兵衛六本木店
Open!

自ら客席下に炭を敷く八島

(自ら客席下に炭を敷く八島)

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(オープンには同門の兄弟弟子たちが駆けつけてくれました)

しかし、六本木はまさかのリーマンショックでガラガラのもぬけの殻でした。
開店のお祝いにきた人々が心配してくれました。
「リーマンショック前なら沢山儲かったのにね」
「大変な時にオープンしましたね、でも大丈夫ですよ」
そして、次々と六本木のクラブや名店が閉店していくという恐ろしい光景を目にしました。

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しかし、まだ自信はありました。
あの前原の人がいない町での17年間にくらべたら絶対ましだろうと。
とにかく人がいるとこで商売させてくれたら負けるわけないやん!と。
福岡から八兵衛の精鋭たちを6人ほど連れての戦いです。
これほど自信があったお店はなかったです。

しかし、その目論見は見事にはずれるのです。

つづく

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六本木ストーリー 第一話

六本木ストーリー 第二話

六本木ストーリー 第三話

六本木ストーリー 第四話

六本木ストーリー 第五話

 

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焼とりの八兵衛 大将ブログ「今夜も焼きます!」

店主 八島且典