上人橋通り物語 第十九話

 

アメリカン・ドリーム 

高校生の頃から夢見ていた

約束の街ロサンゼルス。

 

こんなに早く夢が叶うとは思ってもみなかった。

留学ができなくて諦めていたアメリカ🇺🇸

 

もう舞い上がってしまってて契約書にすぐにサインをした。

 

家を借りて、アメ車を買って、ゴルフセット買ってなどなど

夢見ていた。

失敗するなんて1ミリも考えなかった。

だって、小さな町の商店街から天神に出てきて上人橋通り店もなんとかなったし。

本物の怖いもの知らずの馬鹿になってしまっていた。

無敵の馬鹿が完成していた。

 

その時に百式のオサムと知り合った。オサムは寿司職人としてVISAをとってロサンゼルスsushi koに来ていた。

そもそも焼とりをやりたいとか八兵衛で働きたいとかではなかったのである。

その時のご縁で帰国して八兵衛で働いてもらっていたのである。

オサムはロサンゼルスでも六本木八兵衛でも上手くいかない仕事を経験することになった。

僕の大挫折を続けて2回も目の当たりにしたのである。

あー商売ってこんなにも難しいんだと思ったと思う。

それから独立して百式を立ち上げてかなり苦労したと思う。

一番の苦労は繁盛店だからこその苦労だと思う。お客さんが押し寄せる、予約パンクする、視察する同業者も押し寄せる、あまり食べずに料理の写真だけ撮られるなど様々な痛い思いをしたに違いない。

 

そんなオサムに僕はいつも勉強させてもらっている。

ある時百式に行ったとき予約システムが変わっていた。

なんで?と思った僕は経験不足というか繁盛不足だったのだ。

 

押し寄せるインバウンドや同業者たちそれは不本意だったのかも知れない。それをうまく調整できる予約システムを取り入れていた。

 

僕はオサムが

「街で呼吸してる」と思った瞬間だった。

この福岡の街でしっかり呼吸してるんだ。

そう思った。

僕は残念ながらしっかりと

福岡の街で呼吸しないなと思った。

 

ちと話がとんでしまった。

話を戻そう。

 

そんなsushi koの平面図を見た時この舞い上がった馬鹿にもわかることがあった。 

 

席数、、、。

この広さでこの席数って、そしてトイレの広さと通路の広さそしてキッチンの間抜けな作りの広さ!

先輩!なんすかこれ!

僕から見たらヘンチクリンな図面だった。

 

アメリカは州によっても街によってもレストランの法律が決まっている。

商業施設なら日本でもそうだけどレストランの基準がある。

 

今考えたら普通のことだけど。

 

通路やトイレ、キッチンにいたるまで広さが決められている。

ハンディキャッパーの方がレストランを利用できて、働くこともできるように広さを決められている。

他にもたくさんの法律があって

タッパーウェアは使うこと❌

竹や木の器やとっくり❌

などなど。

 

日本って世界一飲食店がやりやすい国なんだ。

誰でも飲食店をオープンできる国。

やる気と才能あればチェーン展開だってできるし財をなすことも可能なんだ。海外ではそうはいかない。

特に欧米では。

 

「簡単に飲食店がオープンできる」

 

日本から海外へ出店する時に一番の壁というか勘違い第1位なんです。

 

そう、様々な勘違いをしていたのである。

 

そして勘違い第2位は?

 

店主 八島 且典