上人橋通り物語 第二十話

 

勘違い第2位。

外国人って食事中にお酒のまない。

水なんだ。

hot sakeやワインなど飲む人もいるけどあまり飲まない。

特に日本食ではそうかもしれない。

昼間のカフェのほうがみんなアルコール飲んでる。

 

日本から居酒屋の感覚で海外に出店した時、この2点の勘違いが計算を大きく狂わせる。

だから居酒屋は世界へ行くのは難しいと言われている。

しかし、世界には例外もたくさんいてハワイの成ルはその壁を情熱で突き破った。2年以上苦労したらしい。諦めなかったんだ。

吉崎えいじとヒロくんがまさかのハワイで居酒屋スタイルで大繁盛しているのだ。とにかく予約とれない。ハワイの人達で夜な夜な埋め尽くされている。こんなにも日本と同じ、いやそれ以上に居酒屋スタイルは海外ではとても珍しい。

 

ロスの郊外の施設に入ったsushi ko

席数とれてない、アルコールでない。

 

僕は初日の売り上げをみて、愕然となった。

 

膝からガクッと崩れ落ちそうになった。

こんな僕でもわかった。

どパンパンにお客さん入ってもこれしか売れないんだ。

無理やん。返済どころか家賃も払えんやん。

 

たった1日で夢とお金と憧れの先輩を失った。

一瞬だった。

 

アメリカへ渡る時地元では

県会議員さんなど地元の有志や友達が「八島くんをアメリカへ送る会」を開いてくれて万歳三唱までしてくれたのに。帰れんやん。。。。

 

この話はあまり誰にもしたことがないのは、実際記憶があまりないのである。

 

その時悔しいとか誰かを恨むとか一切の感情が出てこなかった。

今でも感情がないと言うか記憶の片隅にあるくらい。

人は交通事故とか恐ろしい目に合うと記憶がなくなるらしい。自己防衛本能みたいなものだと聞いたことがある。

 

力が全身から抜けた。

どんなに頑張っても無理だ。

すぐに帰国した。

帰国してもしばらくは誰にも会いたくなかったど仕事しなきゃ。

魂が抜けたみたいだった。

ずっと憧れ続けていたアメリカ

すっと憧れ続けていた先輩

すべてを一瞬にして失った。

残ったものは多額の借り入れ。

 

目はうつろで覇気もなく。

毎日を過ごしていたように思う。

わからない。記憶がないというかいまだに向き合えてない。

あれほど世界飛び回ってるのにロサンゼルス空港LAXにはあれ以来一度も行っていない。

避けてたわけでもなく無意識なのかもわからない。

 

そんなうつろな目をして生きていた時にニューヨークからボビー・ムネカタさんが来た。

 

ボビーさんは八兵衛天神店をヒントにNYで焼き鳥TOTTOを大繁盛させていた。

そのヒントやアドバイスを僕がしてたらしいのだ。軽くだったと思う。

 

「ねえ、やっちゃんそのお礼がしたくて日本来たの。上手くいってるのよ、あのアドバイスのおかげで。それでねTOTTO2号店を出そうと思っててね。今度は蕎麦と焼き鳥のレストラン。SOBA TOTTOをやろうと思うんだ。」

「えー、そうなんですね。大繁盛何よりじゃないですか!」

 

久しぶりに笑顔になった気がした。

嬉しかった。ロスで大失敗したけど八兵衛スタイルがNYの焼き鳥TOTTOに貢献できたから。

 

そしてボビーさんはこう言った。

「そのSOBA TOTTO をNYで一緒にやらない?」

え?

 

店主 八島 且典