上人橋通り物語 第十二話

 

そして、僕はお金が足りないことに気づくことになった。

この夜、材木屋さんが来なければ最後の最後まで気付かずに手遅れになっていたと思う。

 

業者さんへの支払いができないとか、有り得ない話だから。

家賃だってそうだ。

そこでアウト!だったと思う。

 

江里先生に概算で金額を聞いて、追加融資を銀行さんに頼みに行った。その当時のことはよく覚えていなくて。

たぶんパニックだったと思う。

凄く怖い思いをしたら人は記憶がとぶ。そんな感じだったと思う。どうやって何と言って追加融資をしてもらったのか覚えていないのである。

 

その追加融資額3,500万円。

普通に35坪の焼き鳥屋ができる金額である。

 

そして総費用は8,000万円近くになった。

今でもこの金額はあり得ないと思う。

 

そうなったのは江里先生のこだわりもあるけど、八兵衛の空調に対するこだわりもあったからだ。

それは煙が店内に絶対にもれないこと。

だから換気と給気のシステムにかなりの金額を投じている。

もちろん外へも煙と臭いを消す装置もつけている。

 

お客さんの服に、においがつくなんてぜったい嫌だから。

 

創業当時の前原店からである。

焼き鳥屋とか鰻屋は煙やにおいでお客さんを呼ぶもんだ!という時代だった。

わざと外の道路側に煙を出していたのが常識だった。

あんた何もわかっとらんねと、よく言われたもんだ。

 

22歳の時から、そんな常識いらんと思ってた。

 

その話はまたいつかするとして、さてさていよいよ引き渡しになった。

 

それはなんとオープンの前々日の8月6日だったたいう。

これも震えたわ。

 

スタッフは3日間寝てなかったと思う。いや、寝れなかったのだ。

トレーニングや試し焼きはおろか、食器さえもまだ開封してないのあるし掃除だってまだできてない状態。

 

そんなあり得ないことだらけでオープン日を迎えることになる。

 

なんとかオープン日から3日くらいは常連さんや業者さんなどで賑わうことができた。

それから徐々にお客さんが来なくなっていったのである。

来る日も来る日も、待ってても待ってても。

 

聞こえてきた噂によると、

今度の八兵衛は行きたいけど、行けないよなぁ。

今度の八兵衛ってダメらしいよ。 

 

そんな話になっていたらしい。

 

なんで?

あっ、それ僕のせいやん。

 

そうこの馬鹿ちんは、とんでもない間違いをしてしまっていたのである。

 

それだけでなく、様々なダメの複合体であの立派なお店がすっからかんになってしまったのである。

お客さんいなきゃダメじゃん。

 

あれほどの思いをして

あれほどの高額の資金を投じたのに。

 

閑古鳥っているんだ。

鳴いてるわ。

 

江里先生とのあれほどの激闘を終えやっとオープンしたのに…。

 

そして残ったのは立派すぎるお店と多額の借り入れと虚脱感。

けど、それをスタッフには見せれない。

 

虚勢をはるしかなかった。

大丈夫!大丈夫!何度も言ってた。

 

そう言うしかなかった。

それしか言えないやん。

ほんとは、その場で膝から崩れ落ちたかった。

 

つづく

店主 八島 且典