上人橋通り物語 第十八話

 

高校生の頃からの憧れであったアメリカ🇺🇸

そこで焼とりを焼いてsushi&kushiレストランをする。震えるほど興奮してたのを覚えている。

家族で移住する!

そしてアメリカに住む!

そう決意していた。 

やっとやっと夢が叶う!

 

Coming to the U.S. is a dream come true for me.

 

そもそも、江里先生とは上人橋通り店をデザインする前にこの話があった。

大幅にロスのオープンが遅れてしまい、待ってる間に上人橋通り店をデザインしようかなぁが事の起こりでもあった。

 

パートナーはロスに住む先輩。

ビバリーヒルズのベルエアーという場所でスシレストランsushi koのマネージャーをやっていた。

まだ無名に近かったトムクルーズが寿司食べにきてたり、ジョージ・ハリスンやブリトニースピアーズそしてブルース・ウィルスなど数え上げたらキリがないくらいハリウッドスター達が多く訪れるレストランだった。

 

そんなレストランのマネージャーだった先輩からパートナーになってくれないか?と誘いがあった。

 

え?ぼくですか?

まだ前原商店街で八兵衛やってた時からの憧れの先輩からそう言われて舞い上がってしまった。

その頃は天神店が絶好調で、怖いもの知らずでもあった。

前原から出て天神でうまくいった!

ロスでも絶対にうまくいく!

世界が僕を待っている!

みんなとの約束「前原発世界行きの切符」を手に入れれる。

そう信じて疑わなかった。

1ミリもである。契約書におかしな点があってもである。

 

上人橋通り店で大苦労の最中にもこの計画と契約書、そして資金調達に奔走していた。

 

E-VISAもとった!

アメリカ人になりたい!

 

人って不思議なのもである。

上人橋通り店であれほど苦しい思いをしていても、黒字になったらそれも忘れてしまうのである。

 

上人橋通り店とロスは同時進行だった。上手くいってないのに次の事業計画。

それも海外へ。

なんでそうまでして頑張ったかって?

それはアメリカへの夢が叶うと思っていたから。

すべてを失ってもアメリカへ行きたかった。

 

資金集めというか銀行さんを説得させる為にめちゃくちゃ苦労した。

 

苦しさが何倍もあった。

不安すぎて不安すぎて何度もやめて逃げ出したいくらいだった。

 

あの時逃げとけばよかった。。。

 

つづく

店主 八島 且典