そんな京都で勉強したことを
僕たちなりにアレンジして、
メニューや店作りをしていった。
8カ月してやっとお客さんが入り始めた。
スタートダッシュの失敗は大きかったけど、良き経験にもなった。
そんなドラマみたいにいかないよね。
江里先生と取っ組みあいしながらできたお店が大繁盛した!
なんて、、、。
故・江里先生へ
あの約束の10年が経ちそして
20年経ちましたよ。
まさかここまで続くとは思ってもいませんでしたよ。
金を残すは下なり。
名を残すは中なり。
人を残すは上の上なり。
先生は作品と人を残しましたね。
この上人橋通り店から多くの卒業生が出て活躍してますよ。
もちろん僕も残ってますよ。
あの頃のドタバタが彼等の良き経験になってるみたいですよ。
僕には阿鼻叫喚でしたけど。(笑)
江里先生は天国からこれを読んで笑ってますよね?
「いいんじゃな〜い」って(笑)
そして、僕達と江里先生はこれで終わりじゃなかったんですよね。
やっと満席を経験した2005年4月からすぐになんと!
夢をまた追いかけてた。
2005年8月
焼とりの八兵衛は
江里デザインによる
sushi&kushiレストラン【sushi ko】をロサンゼルスにオープン
僕は馬鹿なのか?
うん?
え?
つづく
店主 八島 且典