上人橋通り物語 第十六話

 

もう、勉強するしかないって。

毎週のように京都へスタッフを連れて行った。

なんで京都?

 

まだあの頃の上人橋通りは人通りもまばらでタクシーが通らない道でもあった。お客さんひろえないから。

上人橋通り・その言葉の響きが好きで警固店ではなく上人橋通り店にした。侘び寂び?なんとなく京都をイメージしてた。ま、わかってください。

いつだって何となくって感性を大切にしてます。

 

そして、京都で僕たちが一番衝撃を受けたお店は「枝魯枝魯ひとしな」だった。

枝魯枝魯の姉妹店である。

一汁三菜が、まず出てきてあとは

お好みで注文するスタイルだったと思う。

 

京都の料亭や割烹などを外れたアウトロー達、けれど腕は良い。  

不良はカタチが規格外であっても

中身は良質。粗悪とは違う。

 

そんな感じのロン毛だったりチョンマゲだったり金髪だったりピアスしてたりのイケてるお兄さん達の包丁さばきをお姉さん達がうっとりしながら眺めてる。

そういうお店だった。  

たぶんその時の店長がハワイ南山枝魯枝魯のヨシ君だったと思う。

 

あーカッコいい!これやろ、ここを目指そう。

焼とりとくずし懐石で行こう!

なんとかやっと方向性がきまってきた。福岡の焼とりとくずし懐石。

そこからは早かったと思う。

ツグ(稲田)が大活躍してくれた。

 

けれど何かまだチグハグ、、、。

あ、初めてのエントランスそして

接客、、、。

 

和田さんがそれを担ってくれた。

きちんと接客や案内の教育を受けていたのだ。

前原から出てきた八島兄弟と宇佐美とキミヒデじゃ無理だった。

「何人?予約?あー荷物は後ろに置いといてー」そんな感じの僕たちだった。 

 

そうやってる頃江里先生が

カウンターに座って満足そうに言った。

「うん、いいんじゃな〜い」

心の狭い追い込まれてた僕はカチッときて暴言を吐いてしまう。

「いや、良くないって!売り上げ足らんですよ!どんだけ苦労してると思ってるですか!」

もうオープンして半年過ぎようとしてた。ギリギリ赤字?これわかりますやね。ギリギリ黒字とギリギリ赤字の違い。

 

10年たったらわかるよ。

その言葉が本当に嫌だった。

何より神経質で小心者の僕のストマックとハートが持たないと思った。

 

入院か倒産か。

そこの近くでギリギリ踏みとどまってる状態だった。

 

イライラして先生に当たり散らかした。

「よーこげなお店ば作ってくれましたね!街の人はあの人は田舎もんやけんやりよんしゃったね。とか言いよるですよ!なんであげなお店作りんしゃったとかいな?とか言われてますよ」

*やりよんしゃった(やっちゃった)

 

江里先生のせいにしたかった。

本当は僕の責任だけど。

不安で仕方なかった。

だからその不安を打ち消したり

塗りつぶしたくて行動してたんだ思う。怖くて仕方なくて動かざるを得なかった。

京都視察の資金もかさむ。

けれど、勉強しなければ前へ行けない。

 

サービスだって料理だって

体験してないからできない。

だから体験させるしか方法はなかった。

 

そんな時でも江里先生は満足そうだった。

僕はイラッときてたけど心の中では

どこかで安心してたのかも知れない。

 

江里先生が作ったほとんどのお店が福岡の名店になってる。

そのことがどこかで希望だったのかも知れない。

 

こんな僕たちでも、やればあそこまで行けるんじゃなかろうか?

 

つづく

店主 八島 且典