上人橋通り物語 第十四話

写真は当時の上人橋通り店スタッフ
左から屋久島パノラマ藤さん、弥七うさみ、やきとり稲田、弊社専務の淳也、いぶし座つかさ

 

落ち込んだのも一瞬だった。誰かのせいにしたいすさんだ状態は変わってなかったけど。

 

気がついたら、船底に穴があいて徐々に浸水して沈没している船に乗ってる感じだった。

 

うわっ、こりゃ沈没して全て失うやん!

おいおいおい!どうすんのよ。

早く浸水してる穴をふさがなきゃ!

 

凄く慌てて焦ってた。

お客さんが来ないことより、来られたお客さんが満足されてなさそうなのが辛かった。

 

実は上人橋通り店を作る前に大名ですこし静かめのメニューのない八兵衛を作ろうとしてた。

結局は物件が取れずに断念したのだけど。

そのキッカケは月の庵、草庵、メディアなどをやってた代理だった。

天神店が絶頂のころよくオスカーで説教してもらってた。

店主や社長になると誰も指導とかしてくれないし、叱ってくれる人なんていなくなるもんだけど。

 

「ノリで商売すんのはそろそろやめとかんとな」

今でもはっきり覚えている言葉だ。

なんでそれがあかんのか?わかってなかったけど。

 

ノリだけじゃいかんよねと言うことは何となく感じていた。

 

代理からその当時一世を風靡した京都の枝魯枝魯、そしてここは絶対行くべきと牛宝さんを紹介してもらってた。

そして大変お世話になっておきながら不義理をしてしまった京都の杉原先生には草喰中東さんにも連れて行ってもらったことがある。

 

あゝそうだ。京都に行こう。

上人橋通り店に足りないものは京都にあるかもしれない。

 

お金が足りなくて沈没しそうな船の船長は、お金をたくさん使ってスタッフを連れてそれこそ毎週のように京都に行った。

 

まず最初に行ったのは牛宝さんである。

焼き台があって野菜や肉を焼いているお店で超人気店である。

会社員時代に福岡駐在されてた時の屋台がモデルだと言う。

1人で焼き台の前に立ち包丁を使ったりの所作が綺麗で素晴らしかった。メニューも魅力的なものばかりだった。

 

僕たちが店内に入りメニューとか食い入るように見てたら、店主からこう言われてしまった。

 

「同業者はんでっしゃろ。なにしてんの!こんなお店とか来んで市場や畑とかに行ってきなはれや」

 

全身固まってしまって、

汗しか出てこなかった。

 

つづく

店主 八島 且典