上人橋通り物語 第一話

 

2004,8,8開店。

本日(2024.8.8)で20周年を迎えます。

みんな若いね。

弥七 うさみ
稲田 つぐ
わだっち
淳也
いぶし座 つかさ
あんど ゆうき
軍ぞう 陽一

このお店から焼とりの八兵衛は大きく方向転換をしました。

いや、正確に言えば方向転換をせざるを得なかったのです。

 

デザイナー江里先生との出会い。

それがなければ今の八兵衛はなかったと思う。

こんな不思議なこともあるんだ。

20年後なんて想像もできなかった。

 

以下の文章は10周年のときに僕がブログに書いたものです。

 


 

『約束の10年』上人橋通り店をデザインしてくれた“故・江里先生へ”

あれから約束の10年がたちましたよ。

あの頃の私といえばイキがってばかりで、誰の声にも耳貸さずで怖いもの知らずで…
なーんもわかっとらん馬鹿もんでしたね。今も変わりありませんが。。。

「先生!こげなお店作ったら営業しきらんですよ!高級過ぎですよ!」

「このお店に負けないように頑張ればいいじゃない?」

「は?!できるわけなかでしょうもん!しかも3年償却目標ですよ!できんでしょうもん!」

「10年で償却するくらいの気持ちで頑張ればいいじゃない?」

「焼き鳥屋にこげんお金ばかけて…。みんなやらかしたって笑いようらしかですよ!10年もたんですよ!」

「10年たてばわかるよ。すべてがね。」

「は?!10年たてば?!支払いきらんかもしれんですよ!意味わからんですよ!
じゃあ、このデザインに負けんごと10年やりますよ!」

最後は私が折れて先生の思うデザインでお店ができましたね。

 

あの時、本当にうらみましたよ。
後悔しすぎて胃が痛かったですよ。

あんなに押し切る先生ってもういないですよ。

あんなにワガママな先生も、もういないですよ。

材質、ライティング、瓦の間隔、和紙の貼り方全てに妥協せず。
そのおかげで何人もの職人さんが怒って帰りましたね。

一人二人やなかったですよ。

しかも引き渡しはオープン前々日やったですね。死ぬかと思いましたよ。

 

まだ、先生のデザインしたお店に追いつけてないような気もします。

いつもこのデザインに負けんごとって思ってますよ。

「歳月を重ねてお店はよくなっていく。

お店はお客様が作るものだから心配しないで。」
先生はおっしゃってましたね。

本当にお客様やスタッフに支えられての10年間でした。
感謝です!

そして本当に幸せものです。

先生、やっとスタートラインにたてたような気がします。

今日は先生が大好きだった赤ワインとぼんじりとチキンラーメンを焼き台の後ろにおいときますね。

 


 

すったもんだありすぎたオープン。

なんと全くウケず。

閑古鳥が半年間くらい鳴いていた。

焼き鳥屋に閑古鳥ってみんな笑ってたけど。。。。

 

なんか高級すぎて自分たちもどう楽しんでもらったらいいかわからない。

お客さんだってどう楽しんで良いかわからない。

これは何度もこれから経験することだった。

東京や海外に展開する時におこること。

初めての福岡焼とりをどう楽しませるの?

どう楽しんでもらうの?

飲食店に限らず、商売で大切なこと。

 

チョコレートショップの佐野さんが本当に心配してくれて、今からでも何か他の業態とか考えたりしても
いいんじゃない?とか。

福岡の焼き鳥屋は安くて美味しいからいいんだよね、とか言ってくれた。
泣きそうだった。

本当にそうだし、そう思ってるし。

なんでこうなったのか?

のぼせもんの血が騒いだのだろうか?

血迷ったのか。

もう毎日吐きそうだった。

 

前原商店街で17年
天神店で4年
苦節でもないけど21年の
焼き鳥人生。

やっと家族が生活できるレベルまで稼げるようになったのに。

これかよ…

どうするのよ!

つづく。

 

店主 八島 且典